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三陸海岸大津波(お勧め図書・089)

 「すさまじい轟音が三陸海岸一帯を圧し、黒々とした波の壁は、さらにせり上がって屹立した峰と化した。そして、海岸線に近づくと峰の上部の波が割れ、白い泡立ちがたちまちにして下部へとひろがっていった。  海上の無気味な大轟音に驚愕した人々は、家をとび出し海面に眼をすえた。そこには、飛沫をあげながら突き進んでくる水の峰があった。  波は、すさまじい轟きとともに一斉にくずれて村落におそいかかった。家屋は、たたきつけられて圧壊し、海岸一帯には白く泡立つ海水が渦巻いた。  人々の悲鳴も、津波の轟音にかき消され、やがて海水は急速に沖にむかって干きはじめた。家屋も人の体も、その水に乗って激しい動きでさらわれていった。」

 

  まるで3月11日の東北大震災の様子をうかがわせるような、迫真の描写である。本書は、福井市出身の小説家、津村節子氏の夫としても知られる吉村昭氏(06年79歳で死去)が43歳の時に上梓したもので、三陸地方を毎年のように訪れていた筆者が、行く先々で津波の話を聞き、同地方と津波が切り離せないものであると知ったことから、実地調査により書いてみようと思い立ったという。三陸海岸を襲った津波は数知れないが、特に明治29年と昭和8年の大津波(ともに地震によるもの)に比重をおいて、その被害状況などを取材に基づき、被災者のさまざまなエピソードとともに描く、「記録小説」とでもいえる一冊である。 

 明治29年の津波では、今回も見られたという井戸水の減少、濁りなどの異変(前兆)があった。津波の高さは10㍍~15㍍と言われているが、三陸特有のリアス式海岸の地形の影響もあって、一部の地域では50㍍の高さまで波が達したという。この津波では死者約26,000名、岩手の海岸線の村落は壊滅状態であった。生き残った住民の体験記録が多く紹介されており胸を打つ。昭和8年の時は、高所移転など津波対策の効果もあって、死者約3,000名と、明らかな減少傾向を示した。

 そんな中で、日常生活や漁の都合などで海岸を離れなかった集落は、大きな被害を被った。本書で詳細に記述されている岩手県東閉伊郡田老村(現・宮古市田老地区)は、二度とも最大の被害を受けた被災地であり、「津波太郎」との異名もある。同町はその後、高所移転か防潮堤建設かを検討した結果、海岸に住み続けることを選択。“万里の長城”とも形容された大防潮堤(高さ10.45㍍、総延長2.5㎞)を築き、津波に備えた。防潮堤は、海外からも視察が訪れるなど、近年も高い評価を受けていたという。

 しかし、本書の最後で吉村は、この大防潮堤について「壮大な景観」「町民の努力の結果」「避難道路が充実」と、一定の評価をしつつも、「明治29年と昭和8年の津波は、10㍍の波高を記録した場所が多く、海水が50㍍もはい上がった場所もあるとの古老の言葉が忘れられない。そのような大津波が押し寄せれば、海水は高さ10㍍ほどの防潮堤を越すことはまちがいない」と、今となればまるで警告を発していたような記述を残している。そのとおり、今回の津波で防潮堤は破壊され、町はまたしても壊滅状態となったのである。

 津波は、自然現象であり、海底地震の頻発する場所を沖にひかえ、リアス式海岸という、津波を受けるに適した地形の三陸は、今後も果てしなく津波が反復される宿命にある。行政は、住民はこれから、津波とどう向き合っていくのかを考えさせられる。

(小澤孝行)

 


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このページは、鯖江の税理士が2011年9月20日 19:26に書いたブログ記事です。

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